BLUE MOON





役者は揃った、チームも理想のメンバーで組むことができた。
すべては自分の望みどおりだった。
それなのに…。



夏の祭典KOFももうすぐ終わる。
その夜、ちづるは用意されたホテルの近くにある浜辺で膝を抱えて座り、寄せる波を見ていた。
月明かりを反射して光る海が、彼女の思考を塗りつぶしてくれる。
こうしてもう何時間たったのかさえ、ちづるは忘れていた。
波の音に砂の上を歩く足音が混ざったことにも気づかない。
「なにをしている」
その足音の主は、ちづるのすぐ後ろで足を止めた。
返事は無い。
<海に意識を呑まれたか、呑ませたか…>
言葉は無くとも彼女が見ているものは、彼も見ることができる。
庵は両手に炎を灯すと、続けざまにちづるの視線の先へ向けて放った。
燃えるものなど無いはずの砂の上を2つの青い炎が走り波間まで線を描く。
そこで初めてちづるは彼の存在に気が付いた。
「…八神?」
振り向くことさえ億劫で、前を向いたままつぶやくように名前を呼ぶ。
「明日は決勝だぞ」
三種の神器チームの神楽ちづる、草薙京、八神庵の3人はその圧倒的な強さで順調に勝ち上がってきた。
「知っているわ」
そう答えながらもちづるに動く気配はない。
庵はそのまま黙って立っていた。時折吹く潮風が二人の髪を弄る。
「どうせ眠れないなら、ここのほうがいい」
「怖いのか」
「えぇ、怖いわ」
寝ることが怖い。夢を見ることが怖い。
起きて、姉の死を確認することが怖い。
大会が終わっても悪夢が終わらないかもしれないことが怖い。
もともと姉の出てくる夢を見ることはあった。だがいつからだろう、その姉の死ぬ夢が生きている夢へ変わったのは。
夢の中で死を見るよりも、起きてから姉は死んだんだと自分に言い聞かせなければいけないほうが何千倍も辛い。
大会の間、チームは性別関係なく一緒の部屋に泊まることが多い。
そのたびに庵はうなされるちづるを見てきていた。
時折漏れるうめきとも取れる言葉からどんな内容の夢を見ているのか容易に想像できた。
オロチを封印し、終わったはずの悪夢。それをなぜ今になってまた見ているのかまではわからない。
しかし、自分と草薙京をチームメイトとしてこの大会に参加するからには原因はやはりここにあるのだろう。



2003年。
最初に連絡をもらったのはまだ雨の激しい梅雨の季節だった。
『今年のKOF、一緒にチームを組んでほしいの』
その言葉を聞いたとき、かなり驚いたことを覚えている。
ちづるはオロチを封印した大会以来、戦う理由の無くなったKOFから退いていた。
もともとそのためだけに参加をしているのを知っていたし、目的を達成してしまえば性格上すっぱりKOFをやめることもわかっていた ので特に感想を持つこともなかった。
それだけにまたKOFへ、しかも三種の神器チームとして参加をしたいと聞いたときには耳を疑った。
「なぜだ」
『あなたの力が必要だから』
「そんなことは聞いていない」
『…』
「わかりやすく言ってやろう。なぜ、俺の力を必要とする」
『…わからない。けれど、あなたたちでないといけない。そんな予感がするの』
まったくすっきりしない返事に庵はイライラする。
『とにかく明日、私の家へ来て頂戴。そこでまた話しましょう』
その気配は電話越しでも通じたらしく、ちづるは庵が黙っている間に告げると返事も待たずに通話を切ったのだった。
翌日、仕方なしに神楽家を訪ねると建物全体に暗い靄がかかっているのが見えた。
<なんだこれは>
敷地に足を踏み入れただけで言いようの無い不快感に襲われる。
屋敷を案内されている間もそれは変わらず、部屋について明らかに憔悴しているちづるを見たときその中心がだれであるかもわかった。
「わざわざ来てもらってごめんなさい。ちょっと今動けないものだから」
もともと白い肌は余計色を失い、なぜか時折痛みを堪えるように表情が歪む。
「なにがあった」
「なんでもないわ、少し頭痛がするだけ」
ちづるは相変わらず自分のことについてはまったく話そうとしない。
なにもない広い和室でふたりきりになると、ちづるは庵を正面からまっすぐ見つめ強い口調で言った。
「八神、あなたに一緒に出てもらわないと私も、そして草薙も土を舐めることになる」
草薙という言葉に余計力を込めて言う。
庵があからさまに不快な顔をするのを見てもかまわずに続けた。
「私はともかく、草薙が見ず知らずの者に倒されるのはあなたとて見たくは無いはず」
<またか>
ちづるは京の名前さえ出せば自分が動くと思っている。
逆に、自分の名前なんてなんの効力もないと思い込んでいる。
庵にとってはそれが一番気分が悪かった。
また、「草薙が」か。
なぜちづるは自分が出てほしいからと、自分のために力を貸してほしいと言わないのだろう。
そのひねくれた物言いが一番頭にくる。
───俺がなにも気づかないとでも思っているのか?───
「つまり、京を負けさせないためにも俺に出るべきだといいたいわけだ」
そう思わせる要因が自分にあることはわかっていたが、そんなことは関係ない。
頷くちづるを庵は一喝した。
「ふざけるな!」
怒鳴られると思っていなかったちづるは思わずびくっと体を震わせる。
「草薙のために試合に出ろだと?貴様頭おかしいのか。なぜこの俺があんなやつのために戦わねばならん。俺は俺のために戦う。他の 誰にも俺の戦いに理由などつけさせん!」
「八神…」
言葉を失うちづるを庵は容赦なくにらみつけた。
いつものパターンからして、次には「なぜわからないの?」とか「どうしてあなたはそんなふうにしか考えられないの」などの説教が くるだろう。
しかし、ちづるは口を引き結び、目からは堪えたくても堪えられなかったかのような涙が一滴、溢れて落ちた。
<なっ!!!>
予想外の反応に内心かなりぎょっとして焦りながらも、どうにかその動揺を押し隠し、ちづるの潤む瞳を見たまま固まる。
<なぜ泣く?!>
こんなことは初めてで、どう言葉をかければいいかなんてわからない。
泣かせたのは確実に自分だが、だからといって今更言い訳や下手な慰めなど言えるわけもなかった。
ただ、さっきまで心を覆っていた怒りと不快感は不意打ちの涙にすっかり消えて無くなっていた。
あわててごしごしと目をこするちづるは、涙を袖ですっかり拭いてから顔をあげ苦笑してみせる。
「ちょっと、疲れてるみたい」
気にしないでと笑いながら手を振り、庵に茶を勧めながら話を続けた。
「えっと、うん、確かにあなたの言う通りよね。汚い言い方をしてごめんなさい。でも、八神に出てもらわないと負けてしまうかもし れないっていうのは本当なの。私には他にあなたをチームに呼べるような理由がなくて…。今回の大会にもなにかよくない気配を 感じて、対抗するには3人の力が揃わないと」
「出よう」
「え?」
気まずさをごまかすために手に持った自分の緑茶を見ながら話すちづるの言葉をさえぎり、庵は唐突に言った。
「出ると言った」
「え?でもさっき…」
「何度も言わせるな!」
「は、はい」
ちづるはとにかく返事をした。
なにか以前にも同じようなことがあったような気がする。庵の機嫌だけはどうも掴めない。
「じゃ、じゃあお願いするわ。ありがとう」
せっかく協力すると言ってくれたものをこれ以上突っ込んでまた機嫌を損なわれては困る。
「チーム申請は私からしておくから、詳しいことがわかったらまた連絡するわ」
「あぁ、そうしてくれ」
ただ一言、ちづるから「私が出てほしいと思っているから」と自分の意思であることを素直に言わせたかったが仕方が無い。
庵は、立ち上がり部屋を出て行くときになっても不思議そうに背を見つめるちづるの視線に気づき、小さくつぶやいた。
「女を泣かせた侘びだ」
その声が届いたかなどと確かめるようなことはしなかった。



あれからもう二月以上がたち、明日はもう決勝戦という日が来た。
あのときの彼女がどれだけ切羽詰った状態にあったのか今ならわかる。毎晩精神的にそうとう痛めつけられているらしく、ただでさえ 疲れている様子のちづるは日に日に憔悴して弱っていっていた。
それでも夜が明け試合に向かうときには背筋を伸ばし、何事もなかったかのように振舞う。
庵も京もなにも言わなかったが、ふたりともちづるがそろそろ限界に来ていると感じていた。
<だが、もう終わる>
明日には彼女の悪夢も終わるだろう。
いや、終わらせるのだ。自分たちのこの手で。
満月に誘われて外へ出ると、夕食の後から姿を消していたちづるが浜辺にうずくまっているのを見つけ自然に足がこちらへ向いた。
その小さな背中が今にも消えてしまいそうに見えて落ち着かなかった。
今まで強がっていたが、怖いと素直に答えたちづる。庵は余計、この場所にちづるを一人で残してはおけなかった。
放っておいて朝になったら水死体なんてことも今の彼女ならやりかねない。
「それでも部屋で休め。足手まといになる」
庵は相変わらずの冷たい声で言った。
「……そうね、戻ります」
こんなとき、他の人間ならもっと気の聞いた言葉が出るのだろうか。
涙を浮かべたちづるの姿が思い出される。
今も、堪えているのかもしれない。
虚ろなまま、言われたとおり部屋に戻ろうと立ち上がったちづるは突然後ろから抱きすくめられ、一気に意識が現実へ引き戻された。
庵の体温を感じ、すっかり冷えた体が熱くなる。
「や、八神?!」
「もう忘れろ。過去は確かに戻らないが、それを糧に今がある」
そう耳元にささやき、ちづるから離れると、庵は振り返らずに先にさっさとホテルへ戻っていった。
突然の出来事に呆然としていたちづるは、しばらくするとなんだかおかしくなって、ちょっと笑いながら浜辺を後にした。
いつも胸の奥で錘となって彼女の足取りを重くしていた暗い恐怖は、いつのまにか消えていた。




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